戦後レジームからの脱却

戦後レジームからの脱却

元首相・安倍晋三暗殺事件から1週間が経過した。実行犯・山上徹也(41)が直ちに捕らえられ、犯行を認めた。「安倍元首相の政治信条に対する恨みではない」と動機を開陳、奈良県警の捜査本部は当夜の記者会見で「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相がこれと繋がりがあると思い込んで犯行に及んだもの」と発表した。
要人警護の虚を衝いて接近した男が弾道も定まらぬ粗雑な銃で元首相ただ一人の命を精確に屠った。奇妙な事件は発生初日から“誤認に基づく暴挙”として処理されることになった。動機の核心となる恨みについて、県警がその対象の名前を伏せたまま「団体」と発表したことで、マスコミが暴走を始めた。次いで宗教法人「世界平和統一家庭連合」(旧・統一教会)が自ら名乗り出て、記者会見。世間の耳目は犯人・山上のファミリー・ストーリーに導かれ、事件の本質から外れゆくばかりだ。
頼りなげな若い男を軸に、警察と旧・統一教会が申し合わせたようにシナリオを辿る。目まぐるしい展開に惑わされ、事件の背後に潜む邪悪な陰謀を見落としたのではないか――そんな懸念さえ胸をよぎる。
過去の多くの事件がそうであったように、宗教団体が出てくることで真相が霞む。今回も同じ轍を踏む。国葬をもって大団円、付き合わされる国民はたまったものではない。
初組閣の際、安倍は「戦後レジームからの船出」あるいは「脱却」というフレーズを政権構想に掲げた。「戦後レジーム」という言葉は多義的に使われ、その意味が曖昧なまま一時期の安倍政治を支える呪文として機能した。だが、今もなお言葉は活きている。安部自身が戦後政治の行き着く先で専横を極め、「レジーム」の権化として好き放題に振舞った。そんな安部の最期を総括したのが、権力組織にはびこる「戦後レジーム」であったことは究極の皮肉だろう。だが、事態は迷走する。(醒)

一報
2022年7月8日、2日後に投開票となる参院選の応援で奈良市を訪れた元首相の安倍晋三(67)が演説中に狙撃され、即死状態で落命した。暗殺である。

発生は午前11時半ごろ。20分後には「安倍、撃たれる」の一報が全国を駆け巡った。地方区の自民党候補を横に置いた応援演説。衆人環視の中での凶行だったが、いとも容易く安直になされたためか、聴衆や取材記者はおろか、警備の警官・SPでさえ気付かぬうちに殺害が完了した。多くのスマホに一部始終が記録され、目撃体験を全国民が瞬時に共有した。

画像は次々と更新され、繰り返し流れる。取り押さえられた男がいる。拍手をする男、車道に出て背後から近づく男、左肩のバッグから黒い物体を取り出して撃つ男・・・・・・がいる。すぐ傍を自転車の年配男性が通りがかり、路上のバトルを漫然と眺めやって緩さを味付ける。
これが犯人? これが凶器?
画面に緊張感がない。凶行を働く気負いがない。殺気もない。何処にでもいるような、誰でもない、当たり前の通行人。警備・警護の目に留まらなかったのも致し方なしだが、基本動作に悖るとの指摘もある。
同日夕、奈良県立医大が安倍の死亡を発表した。「心肺停止」から「死亡」へと見出しが変わった号外に、「安倍元首相の政治信条に対する恨みではない」という供述と、20年前、3年間だけの任期制自衛官として海上自衛隊に在籍したという経歴が記載してあった。ン?
元首相暗殺の動機に政治性がない・・・・・・誰が信じるか?

手製銃
被疑者連行の後に転がる黒い物体。銃器ようのもの、拳銃、散弾銃・・・・・・諸説ふんぷんの中、赤石基樹(60)=仮名=のスマホに写真が届いた。

「これは何か? 見立てを聞かせて」
週刊誌記者からのメッセージに、赤石はあっさりと答えた。
「2本の鉄パイプをビニールテープで板に固定して、筒先から火薬とタマを込める手製の銃・・・・・・グリップ辺りにリード線とバッテリーが見える。スタンガンを借用した発火装置かな。弾丸の構造までは分からんけれど、手製のショットガンやね」
赤石は前科者である。兵庫県警で約10年、大阪府警で5年、銃器捜査のエス(捜査協力者)として働き、警察に摘発・押収させた銃器は100丁を超える。「拳銃は人殺しの道具」の持論で協力するが、エスの末路は切り捨てしかない。捜査機関は保身のため、用済みのエスに罪を背負わせ刑務所に隔離する。赤石は2度にわたる15年もの長い拘束中、エスとして警察と関わった体験を洗いざらい筆者に書き送った。ウソもなければ虚飾もない。ウラを取りつつ蓄積を続けたが、ここらで封印を解いてもいいだろう。

記者会見
県警は同夜、記者会見した。中西和弘刑事部長の前置きに続き、「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相がこれと繋がりがあると思い込んで犯行に及んだものと本人が供述している」と山村和久捜査一課長が発表した。

またも絶句である。
「特定の団体」の名前を明かさないのは記者発表における常習手口。記者の関心をその団体に引き付ける。

「思い込んで」は何事か。

「当初はそう思って実行したが、いまは間違いだと反省している」という意味か。

犯行から半日も経ずして、元首相を殺害する強い動機を翻した――そんな馬鹿げた話を誰が信じるか!

県警の狙い通りに「特定の団体」が記者を惑溺した。その団体の性格は反社(会的勢力)か、政治団体か、あるいは宗教団体か・・・・・・恐らくリークがあったに違いない。

やがて、「統一教会」「創価学会」「成長の家」などの名前がネット上を飛び交った。事実と風評ない混ぜの、タブーを伴う迷宮に世論(せろん)を追い込むテクニックである。巧妙といおうか、卑怯というべきか、奈良県警の邪(よこしま)な報道コントロールを唖然としながら見守る。

ところが、なんと、今度は「統一教会」の名を受けて「世界平和統一家庭連合」が会見を開いた。参院選明けの7月11日、夕刊締め切り後である。被疑者家族と教団の関係について、巷間乱れ飛ぶ諸情報のあらかたを認め、寄付額の多寡については「本人の意思なくしては、高額献金も出ません。私達は感謝してその志を受け止めております」と、田中富広会長が感情の乱れも見せずに至極真っ当に答えた。

「開き直り」という見方もあろうが、この弁明は他の教団にも通ずる。非の打ちどころがない。事件に対する世間の見方と関心の的が、この会見を機にコロッと変わったに違いない。

思い込んで

さて、「思い込んで」を復唱した山村一課長の言だが、当の山上容疑者は今もなお、安倍元首相と統一教会の強い繋がりを信じているはずだ。そうでなければ、一連の行動を説明する供述が無意味となる。

教会と安倍晋三の関係は、田中会長が言うように岸信介(安倍晋三の祖父)と文鮮明(統一教会、国際勝共連合創立者)の関係に遡ってこそ理解できるわけで、昨日今日の話ではない。

安倍晋三は、山上の母親が巨額献金にのめり込んだきっかけを作ったのでも唆したのでもない。「とんでもない思い違いでした」と山上に言わせたい捜査側の願望が、「思い込んで犯行に及んだ」という文言に跳ね返ったのではないか。よしんば山上がそう述べたにせよ、被疑者の供述を鵜呑みにしてよいものか。

「政治信条に対する恨みではない」にせよ「思い込んで」にせよ、逮捕直後の弁解録取書段階の供述である。その後の供述の変化を見極め、吟味する重大な材料となる。軽率な取り扱いをすれば命取りになる。普通であれば慎重になると拝察するが、いかがなものか。

こうした警察の調べと、統一教会の記者会見が相俟って、暗殺の標的・安倍の事件は行き場を見失った。

「それもこれも安倍さんの人徳」と言われれば「そうかな?」もあるだろうが、それでは故人に対して礼を欠く。「生きて後世の批判に応えてもらわねばならなかったのに残念至極」というところが多くの国民の本音だろう。

死者の賛美に傾斜するマスコミ報道には何らの期待もない

ところで、会見といえば、県警本部長の鬼塚友章も会見した。憔悴しきりの風貌が気の毒と映ったが、なに、気にすることはない。警備担当幹部であろうと本部長であろうと、警視総監、警察庁長官といえども所詮は国家の保安装置の一部品でしかない。何時でも取り換え可能で、警察業務には何らの支障も生じない。
そのようにことが運べば運ぶほど、奈良県警の刑事部にとっては不幸のさなかの僥倖ではないか。警備・公安は決して火中の栗を拾わない。事件の処理は、県民のためでも国民のためでもない。己が保身のためである。この体質は奈良県警だけではない。全国の警察、検察を含め、司法も行政も我が身が大事。

そんな組織を養い続けたのもまた「戦後レジーム」の一側面である。(続く)

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