それにしても酷い年明けだった

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それにしても酷い年明けだった。禍禍しいというイヤな言葉が脳裏にへばりついた。

元日の大事故といえば、1975年の青木湖スキーバス転落が浮かぶ。おおかた50年も前の事故なので、ご存じない方は、まあ自力で調べてみればよい。

能登の揺れは、大阪では激しくはなくユラユラと眩暈がするようだった。

椅子から落ちそうになり、いよいよお迎えが来たのかと一瞬、覚悟した。地震かどうかを調べるにもネットを使えば素早い。体調不良ではなかったと胸を撫で下ろしたのだが、こう言うと顰蹙を買うのだろうか?

と、間もなく、能登里山海道ののたうつ路面と破断の様子を捉えた写真が届いた。数台の車が路肩に押しやられているが、人的被害はなさそうに見えた。金沢に近い海外線沿いなのだろう。輪島や珠洲のことが頭に浮かばなかった。

TVをつけてニュースを見るが、津波から逃げてくださいと言う絶叫に次ぐ絶叫に耳塞ぎ、ここでTVから離れた。避難を急ぐ人がTVを見る余裕などあるまいとつぶやきつつ、明朝まで具体的な惨状は知らぬままとなった。

能登半島の地震といえば2007年の震度6強が鮮明に思い出される。今一度調べてみると死者は僅かに1人だった。名古屋(中部国際空港)から珠洲までを繋ぐ「昇龍道(ドラゴンロード)」に観光資源としての思い入れがあったからかもしれない。

翌2日は新聞がない日。

地震の続報というか、まっとうな続報はないのかと夕方のTVでNHKに釘付けになった。

飛行機が燃えている。テロに違いないと思うのだが固定カメラの映像に伴うアナウンスは落ち着いていた。

大きな機体の尾部が炎に包まれ、背後で小爆発に続いて火を惹きながら画面の左へ走り去る大きな機体。LiveなのかRepeatなのか、手前の機体が焼け落ちるまで見たが、判然としなかった。

この緩さに惑わされ、機内の乗客がどうしたのかという想念は全くのゼロ。駐機場の旅客機が焼けた。炎上、爆発はあるのかと懸念したが、背後で何度も衝突・滑走を繰り返す機体は海保機と衝突した日航機と知るまで実相を理解できなかった。

 

珍しく長々と綴ったが、報道における速報の意味を考えたい。

地震も羽田も、速報に辟易してその後のニュース追跡を放棄した。筆者だけだろうか?

速報が早いのは良いとしても、意味・無意味が理解できない延々とした繰り返しにはついていけない。視聴者の注意力は時間とともに散漫になる。良識ある報道とは言えまい。

里山海道の写真はどこか長閑な雰囲気を湛えている。だが、撮った人はここより先へは進めなかったはず。自分の状況を伝えただけで、ヘエーッ凄いとは思わせるが、報道の役割を果たしているかと問えば、否である。

ところが、こうした写真(や動画)が幾らでも手に入ることから、報道の世界ではカメラマン要らずの風潮が蔓延しつつあるらしい。

イスラエルとガザの紛争で、いわゆる「戦場カメラマン」は一人もいないという。現場の兵士がスマホで撮影して発信する。APやロイターといった通信社も、現場にいる一般人からの写真入手に力点を移したようだ。フォト・ジャーナリズムの終焉である。

となると、問われるのは視聴者、読者の能力だ。ささやかな一報、一枚の写真から真相を読み解くリテラシーが求められる。ただただ単なる洪水のような繰り返しの絶叫とケジメのない動画再生は、受け手のリテラシーを大いに阻害する。

 

「こんな穏やかなお正月って初めて、暖かいですよね」と同年配の女性に声を掛けられて困った。明かに同意を求めているのだが、即座に返事が出来ない。天候に限ればそうかもしれないが、もっと温い正月もあったような気がする。気分は決して<穏やか>ではない。

イヤでも届く年賀状の返しに、こんなお遊びを送り返したばかりだった。

そうこうする間に安倍派の議員が政治資金規正法違反で逮捕された。57歳とは若い。日本青年会議所が資金源だと初めて知った。政治の世界も世代交代が進んでいるのか。

方や長崎の妖怪めいた82歳はどうか。地元では知る人ぞ知るといわれながら、キャラクターが見えなかった。今回、「頭悪いね」と取材記者をコキ下ろす動画で一躍全国区だ。

台湾の総統選は与党・民進党の頼清徳が勝った。中国、アメリカの思惑やいかに。

芸能界の話題はサケのツマミにもならない。本欄では扱うことはない。

本醸造や大吟醸とはいわず。昔のままの日本酒が生き延びた上撰あたりのぬる燗で胸のつかえを下ろすのもいいのじゃないか。高い酒を売る店には行きたくない。(醒)

 

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