年末28日の新聞(朝刊)で「安易な起訴」という文字列を見た。
東京地検に外為法違反事件で起訴し、この起訴を自ら撤回したという珍しい経緯に注目していたが、起訴された法人と社長らが求めた国家賠償訴訟の判決を応じる記事だ。
読売は1面頭で「逮捕と起訴『違法』」「嫌疑の根拠欠く」と打ち、3面では「捜査機関を『断罪』」「安易な起訴 許されず」と並べ、社説では「違法な捜査の原因を糾明せよ」とある。
朝日も1面頭で「警察・検察の捜査『違法』」「東京地裁 都と国に賠償命令」、2面で「公安捜査の暴走 指弾」{いちからわかる! 警視庁の公安部なにを捜査する?}ときた。
ここに至って記事の中身は(両社も各社も)似たようなものなのだが、見出しに掲げる言葉の力に驚いたのだ。
読売の「安易な起訴」が朝日にはない。まさか読売が勝手にご託宣を垂れたのではあるまいかと思いつつ朝日の記事も精読した。
両者ともに<判決要旨>を掲載したが、その中にこの言葉はない。
よくよく記事を読みこなして漸くわかった。
判決文にはないが、判事が口頭で言及したということだろう。
裁判所も判決文に書いて残すのを避けたかったのだろう。
「安易な起訴」は「安易な捜査」の上に成り立つ。
そのデタラメさを認めて約1億6000万円の賠償を認めたが、捜査機関の構造的な欠陥を判決文に書けなかったのではないか。
そこら辺りを取材するワケにもいかず、してもケッチンを食らわされるだけだ。
報道はいっときの嵐、新聞は明日になれば古新聞だ。
TVは馬鹿らしくて見ないようにしているのだが、ストレートニュースくらいは傍耳で聞く。
しかし、まあ、安倍派の誰それを聴取したとか、選挙違反の議員の出頭だとか、もはや毎日、毎日聞き飽きたアナウンスと見飽きたような捜索の光景を繰り返し見せられるばかりで、この「断罪」に関してはボルテージが低い。
「安易な起訴」は「安易な捜査」と書いたが、新聞各社の外為事件初報は「逮捕・起訴」と同日の手続きを、発表を受けたままに書いたようだ。
報道が教えてくれなければ、一般市民はツンボ桟敷にいるのも同じ。
逮捕を伏せて起訴で発表するのは、捜査機関の後ろめたい手口なのだ。
逮捕から約3週間、世間の関心をまったくゼロにしてしまう情報操作の基本のキだ。
身柄拘束という極めて不利な立場にある被疑者への援護活動を封殺する。
権力機関の勝手気ままなのだ。
これに比べて政治資金規正法違反事件は、同様同種の内容を繰り返す報道で、市民・国民の感性がマヒさせる。
これまた東京地検にとっては有難い情報操作ツールになった。
耳目を引き付けられた市民・国民はTVコメンテーターのウツケた発言も聞き逃す。
これを底から支えるのが「安易な政治」ということだ。
それをまた、下から支えるのが市民・国民なのだ。
罵倒されても、愚弄されても腹を立てない善良な市民・国民が日本を構成しているのだ。
権力機関は伝統的にそのことを承知している。
政治家は、見て覚え、聞いて覚えで次第に図々しくなる。
良くも悪くも歳は暮れ、新しい年を迎える。
78年間、戦争を知らずに過ごした日本人は倖せなのか?
防衛増税の議論は先送りとなったようだが、どうせ、しばらく、戦争なんてありゃしない。
多くの市民・国民がそう思っているに違いない。(醒)
年の始めの ためしとて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ