<S(エス)―Since1992>赤石基樹の物語      生駒望

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□20世紀末、バブルの破綻で日本経済が“失われた30年”に陥ったかたわら、日本警察は3度にわたる銃刀法改正で我と我が身を傷つけ、権力の威光を地に堕とした。

□1度目の法改正は1991年。海外での銃器調達への厳罰化を謳ったが、日本の警察官に捜査権はなく絵に描いたモチ。[1]

□2度目は93年の「自首減免」。ピストルを持って出頭すれば、逮捕はされても処罰なし(不起訴)。極道が目を白黒させたが、押収数を稼ぐことはできた。[2]

□3度目は95年。捜査員が相手から銃を買い受けることを容認した。コントロールド・デリバリーという禁断の手法に戸惑う刑事が続出、多くの都府県で死屍累々の結果を招いた。[3]

□こうした背景に、北海道警の警部・稲葉圭昭は自ら覚せい剤を売り捌いて銃器購入の費用に充て、2002年に逮捕されて懲役9年の裁きを受けた(刑期1年3か月を残して仮出所)。その摘発実績たるや、誰も誉めはしないが絶対的なエースだった。[4]

□赤石基樹は1991年6月、銃器対策のエスとして兵庫県警の保安部にリクルートされた。法改正を機に集めたザコではあったが、以降約10年、自在な潜入で違法な売買を繰り返し、担当刑事を巡査部長から警部に昇進させた。集計資料はないが、稲葉に並び立つ一方の雄である。長く無事でいられたのは本職の刑事とは異なり、見返りを求めなかったからだ。

□その赤石が日本警察の銃器捜査の限界を喝破した。エスの告白が『「マカロフ」5000丁流入?』(2001年1月21日、読売新聞大阪朝刊)という記事になった。

□赤石は並行して、逃走中の強盗殺人犯が持つトカレフの銃口に加工したことを捜査1課に申告、逮捕に協力した。その代償が証拠隠滅での起訴、懲役8年の実刑に服した。

□警察は今、「闇バイト」や「匿流」など意味不鮮明な用語を振り回し、新たな犯罪のトレンドを抑え込むとして警官の身分を仮装する捜査手法を公表した。が、責任は本部長止まり。警察庁の内奥にまで及ばせぬ配慮を施した。

□あれから30年。警察は威厳を取り戻せるだろうか。

□昔のことは忘れたい、見ないふりをしたことを思い出したくはない。それが人間の性だ。

□赤石の手記が役立つ時期が来たのかもしれない。物語を始めよう。

 

■マカロフ5000丁■

□2001年1月21日、読売新聞(大阪)の朝刊社会面。黒光りする拳銃の写真を配した記事が4コマ漫画のすぐ隣に載った。

21世紀初頭[5]、こんなグロテスクな紙面が日曜日の朝、一般家庭に届く時代だった。

□記事はこう伝えている。

  • 小型で殺傷能力が高いロシアの軍用短銃「マカロフ」の押収数が国内で急増している。一昨年までの累計9丁が昨年は11月末で計30丁。指定暴力団が密輸入の中心だといわれ、最近2年間で約5000丁が入ったとの見方もある。昨年11月末、大阪南部で起きた連続発砲死傷事件では、自殺した元暴力団組員の自宅にあった3丁のうち2丁がマカロフで、大阪府警などは警戒を強めている。
  • マカロフは旧ソ連軍が1950―60年代に開発した自動式短銃で、旧東ドイツや中国などでもライセンス生産した。国内では94年に初めて5丁を押収。昨年は大阪府警はじめ、北海道警で7丁、警視庁と長野県警で各3丁など計30丁を押収した。
  • 「推定5000丁」と警告する銃器売買に詳しい筋によると、東京に本拠を置く暴力団が密輸ルートの大半を仕切り、新潟、北海道、名古屋などに着くロシア船で頻繁に流入。組員同士の相場では実弾16発付きで50万―60万円、消音器付きが約80万円。
  • ロシア銃は従来、「トカレフ」が出回り、94年の押収数303丁をピークに昨年は11月末で70丁と減少。銃刀法違反容疑で逮捕された組員らは「銃身が重くて不発になりやすい」などと欠点を挙げ、マカロフ入手の動きが強まっているとみられる。

□第3段に登場する「銃器売買に詳しい筋」が赤石だ。大阪府警が説明したかのような流れの中に紛れ込ませたが、そんなことはあり得ない。

□「わかっとるなら捕まえてこんかい」と揚げ足を取られる。警視庁に対しても失礼だ。赤石がいったい誰に何を「警告」したのか、間違えずに読み取る[6]のは難しい。

□大阪の他紙は、当然のことながらこの記事を無視した。5000丁という数に尻込みしたか、胡散臭さを嗅ぎ取ったのか、後追いはなかった。恐る恐るの確認取材で、府警幹部の渋面に恐れをなしたのだろう。

■トワイライトエクスプレス■

□10日後の31日午後、北海道から大阪まで24時間をかけて辿り着いた寝台特急[7]から、自動式ピストル10丁と適合実包150発が見つかった。不審な荷物があるとの通報で大阪府警捜査4課が無人の個室を検めた。鞄の中に古く汚れたマカロフが詰め込んであった。府警はその写真をも公表した。

□今度は全マスコミが飛びついた。真正銃との鑑定が出るまでひと月を要したが、10日前のためらいをかなぐり捨てて書き競った。

  • 札幌駅で30日朝、誰かが個室に荷物を持ち込んだ。カードキーで施錠して新千歳空港に接続する南千歳駅で下車した・・・・・・
  • カードキーを持つ男が京都駅で列車に乗り込み、車掌の手を借りて個室に入ったが荷物を見つけられずに立ち去った・・・・・・
  • 北海道から京都まで、カードキーがどう先回りしたのか・・・・・・

□マスコミには不思議な習性がある。各社が書くならわが社もゼヒにと、尻馬に乗る。煽り立てる素材となる数(量)は多ければ多いほど良い、バブル好き。

□拳銃のひとり旅を謎解く面白さも手伝い、日本国中どこにでも拳銃が転がっているかのようなおどろおどろしさが漂った。

□だが、マカロフ5000丁は白髪3000丈[8]。見出しは狂騒曲の誘い水ではない。数字に目を奪われては本質を見損なう。

□「銃器売買に詳しい筋」はそこのところ[9]を警告した。赤石はこの時38歳。兵庫県警・銃対[10]にリクルートされて9年目の捜査協力者。赤石を釣り上げた巡査部長・曽谷準二は5年後に警部に昇進した。51歳。脂が乗り過ぎた銃対課の課長補佐。赤石は比類のないエスだった。

 

[1] 本書のテーマはだ。警察を愛する人、警察小説の愛好者、警察記者の皆さんには是非ともお付き合いいただきたい。

[1] バブル景気を反映した超豪華サービスを誇った。カネと時間がある世代が利用したが、憧れのマトとして存在した。

[1] 中国唐代の詩人、李白の「秋浦歌 其十五=白髪三千丈/縁愁似箇長/不知明鏡裏/何処得秋霜」から。当時の1丈は約3.3mとして10km程にまで白髪が伸びたという。甚だしい誇張を揶揄する表現として使う。

[1] 警察の銃器取り締まりは実効よりも摘発数を重視し、水増しも厭わない。だが、ここに及んでマスコミが「銃器氾濫」を掻き立てるのはうれしくなかったはず。時代の相はすでに変わっていた。

[1] 銃器捜査や銃器対策、係、室、課と組織名が変遷する。「銃対」と括って呼ぶ。

 

マカロフを追え

□前年4月、赤石がもたらした情報をもとに予備内偵が始まり、警察庁指定事件[11]を目指した。

□端緒は大阪にあった。「ナンボでも手に入る」と豪語する山健組[12]吉村会の<ヤマグチ>から消音器付きのマカロフ1丁を赤石が買い取ったことに始まる。

□警官の身分がない赤石が拳銃を買い受けるのは違法だ。赤石は大抵の潜入捜査を事後報告で済ませた。一つ間違えば曽谷のクビが飛ぶ。違法性を消し去るために曽谷がどんな手を使ったのかは不明だ。他の捜査員が真似のできない手法を弄して曽谷も生き延びた。

□筒先にネジ込む消音器が食わせ物。スンナリとハマらないし、試し撃ち[13]をすれば耳をつんざく大音響。使いモノにならない。赤石はヤマグチを突き上げ、新宿・歌舞伎町を根城とする国内ルートの卸し元に行き着いた。そこで見たのが、暴力団・松葉会[14]の<オギ>だ。

□赤石の報告を受け、曽谷がその人物を特定する[15]。これだけでもエスとして十分な働きだ。だが、赤石の潜入はそこに止まらない。曽谷の半歩先を行き、新たな情報を掴んで次なる指示を引き出す。赤石の計算高さは前にも後ろにも働いた。

□北海道を含めた拡大捜査を企図したが、カタチばかりの合同捜査はモロイ。それぞれが手柄の先取りを争い、肝心の情報が隠された。ヤマグチが愛知県警のエス、オギもまた警視庁のお友達(エス)と判明した時点で捜査は行き詰った[16]

□「なんでやねん」赤石は毒突きながらも素早く標的を変えた。トワイライトならぬサンダーバード[17]で大阪に入るマカロフを追い、2001年末の逮捕前日まで潜入を続けた。

□「マカロフ5000丁」を出稿した大阪読売の社会部デスク・森脇醒(49)はその時点で、そんな背景をまったく知らなかった。

□「兵庫のエス」と赤石は言ったが、多くを語らない。「接触員」と呼ぶ捜査員、曽谷の名前(所属、階級)すら知らされなかった。頑なな義理立てに辟易しつつ、ゆっくりと機会を待った。赤石の心理的な波長が合致して、ようやく取材が成立した。森脇は警察の秘密主義への揺さぶりを狙ったのだが、赤石の焦りは何だったのか。

□「いい加減なコトを書くな」とクレームがつけば[18]この上なし。僥倖[19]である。

□<消音器20万円>は想像や類推では出てこない。

□「これは(その世界の)常識か?」記者と警察幹部がやり取りすれば、必ず綻びが出る。

□そこに生じる小さな波紋を期待したが、反応は絶無。権力はネグレクトの効用を心得ていた。

□警察はエスの存在や運用について徹底して隠し通した。記者には知らせてはならない。それが何故、表に出たのか。謎を解かずにジタバタすれば、蟻地獄に落ちるだけだ。

□記事は一般の読者より、警察内部、銃器捜査に従事する捜査員に対してのインパクトが大きかったはずだ。赤石の<警告>が不気味に響いたに違いない。

□府警幹部は記者との接触を避け、兵庫の曽谷は赤石の携帯を鳴らした[20]

□2000年末、12月28日夜、赤石からの電話に異様な気配があった。

「警察の銃器捜査はメチャクチャや」

「オレも危ない。ハメられるかもしれん」

□「メチャクッチャとは?」この質問があの記事の第3段を導いた。

□赤石がすべてを明かしたワケではないが、松葉会の名前と消音器の値段が決め手だ。

□「ハメられる」の意味が分からなった。

□後に届いた手記で判明した。2000年11月、兵庫県尼崎市内のゲーム喫茶「ロイヤル」で強盗殺人事件[21]が発生。逃走中の主犯と知り合った赤石が、県警捜査1課に逮捕させるべく工作していた。そんなことは想像することさえできなかった。

□12月11日、主犯・オクダが持つトカレフ銃口を赤石がリューター[22]で削ったのがきっかけだ。

□曽谷に報告して1ポイント加点の軽い心積もりだったのだろうが、「殺人銃だ」と知って狼狽えた。

□「放っておけ。ルミナリエ[23]の警備に駆り出されとんや」と曽谷は突き放した。強殺事件は刑事部捜査1課の仕事。保安部の銃対が割り込むことはない、という理屈だろう。

□持っているだけのピストルなら可愛いモンやが、人を殺したとなると別物。警察が始末するのがスジやんか――赤石の正義感[24]が働いた。高校時代からの遊び仲間で、時には小遣いをせびる暴対刑事の<シバオ>[25]を頼りに、逮捕覚悟で捜査1課に名乗り出た[26]

□「お前が(主犯の)オクダを捕まえてこんかい」捜査1銃口削りと盗難車ポルシェの故買はニギル[27]からと1課管理官の山崎清一が赤石を追い返した。

□オクダは指名手配済み、1課はエス如きの力を借りるまでもないと踏んだのか。だが、逮捕するには、結果としては赤石に頼らざるを得なかった。これがまた癇に障ったに違いない。

□「ハメられる」には、ヒントが1つあった。

□「(兵庫の)西の方で何か大きな事件があったんか?」と赤石が訊いた。

□「御津町(現たつの市)で起きたタクシー強盗事件[28]やないか」それで分かったと赤石がぶちまけた。

□「ワシらは忙しい。オマエに構うとるヒマはないんじゃ」赤石は転戦する1課の捜査員に罵られた。

□この時、捜査1課が赤石の身柄を拘束していれば、マカロフ内偵の進展はなかった。だが、オクダを捕らえた訳でもなく、殺人の証拠となるトカレフも押えておらず、“自首”してきた赤石を物証なしに逮捕することはできなかった。

□どう動けばいいのか、曽谷もシバオも中途半端なことばかりしやがって――赤石の焦燥を知らないまま第3段の内容を「このまま載せるぞ」と返して同意を得た。

□赤石の気懸りは半分片付いたが、1課の逆襲・ハメ手は生易しくはなかった。

□強殺犯を逮捕させたのは、赤石にとっては成り行きでもあり意地でもあった。

□赤石の健康保険証をオクダに使わせて入院させ、別の拳銃を譲り渡しもした。違法な手段だが、ヘタに出歩かせれば何が起きるか。1課が動くまでの身柄確保を赤石が受け持った。

□「オレの情報と差配がなければ、逃げられっ放しやないか」この慢心がアダとなった。

□主犯逮捕の経緯を、恐らく調べ官がそれとなく漏らして主犯から逆恨みの供述[29]を得た。

□赤石自身が追われる身だ。今度は曽谷が支援した。指名手配を知らせ、逃げろのサイン。この手さばきはココに始まったことではない。

□1994年の秋口、赤石は事情も知らずに兵庫県警に名義変更未了の携帯電話を提供した。曽谷らはこれを使ってタイ人船員に密輸と陸揚げの連絡を取った。一審判決が出る1994年の年末まで、曽谷の指示で赤石は逃亡の車中生活を強いられた。

□もし赤石が、オクダの一審判決・無期懲役(2002年6月)まで逃げおおせていれば、1課は赤石逮捕を諦めたかもしれない。強殺の本犯を立件しさえすれば、証拠隠滅や盗品売買などはオマケに過ぎない。だが、プライドを踏みにじられた捜査1課の恨みは深い。銃器対策課の潜入捜査など知ったことかと2001年末、何ともケチ臭い容疑で赤石を逮捕した。

□赤石の逮捕を新聞が伝えたのは12月26日。読売新聞阪神版は「他人の身障者手帳で高速料金割引証取得 容疑の39歳逮捕 尼崎中央署」の見出しでベタ(1段)の雑報扱い。新聞各社の足並みが揃っているので、25日に報道発表があったのだろう。

□実際の逮捕は12月3日。オクダに別の拳銃を譲り渡した銃刀法違反[30]で逮捕したが、48時間と2勾留(20日)で仕上げられず、処分保留で釈放して逮捕し直した。1回につき1000円足らずの詐欺をなぜ捜査1課がとの詮索を、尼崎中央署刑事1課という隠れ蓑で隠しおおせた。

□赤石逮捕の報は12月4日に届いた。奈良県十津川村の携帯受信状態がよくない。取って返して弁護士[31]を訪ねたが要領を得ない。警察が示す外形的な被疑事実は理解できるが、筆者ともども、エス運用の実態やコントロールド・デリバリーの実相[32]を知らなかった。さらには、警察捜査の内実がここまで酷いと思っていなかった。知らな過ぎた。知らないことは罪だ。

 

[1] 1991/04/23 火 成立~1992/03/01日改正銃刀法施行,同日暴対法施行も施行

[2] 93/06/04金 成立~7/15施行

[3] 95/4/28 (金) 成立~6/12 施行

[4]出所後の自著『恥さらし―北海道警悪徳刑事の告白』(2011年講談社)を参照

[5]銃犯罪の危機は95年3月の國松孝次警察庁長官狙撃事件で頂点に達した。國松自身が生き延びたことが鮮烈な印象を与えた。だが、記憶し、想起すべきは背後で進んだ法律と運用の実態だ。そこに潜むデタラメと乱脈が日本の銃器捜査を捻じ曲げた。

[6] 本書のテーマはだ。警察を愛する人、警察小説の愛好者、警察記者の皆さんには是非ともお付き合いいただきたい。

[7] バブル景気を反映した超豪華サービスを誇った。カネと時間がある世代が利用したが、憧れのマトとして存在した。

[8] 中国唐代の詩人、李白の「秋浦歌 其十五=白髪三千丈/縁愁似箇長/不知明鏡裏/何処得秋霜」から。当時の1丈は約3.3mとして10km程にまで白髪が伸びたという。甚だしい誇張を揶揄する表現として使う。

[9] 警察の銃器取り締まりは実効よりも摘発数を重視し、水増しも厭わない。だが、ここに及んでマスコミが「銃器氾濫」を掻き立てるのはうれしくなかったはず。時代の相はすでに変わっていた。

[10] 銃器捜査や銃器対策、係、室、課と組織名が変遷する。「銃対」と括って呼ぶ。

[11] 赤石が関与した指定事件は他にも2つある。「音羽一家絡みの全国密売ルート事件」「高知マグナムからウージー、カラシニコフまで」(いずれも赤石の命名)。

[12] 当時は5代目山口組傘下。2015年の山口組分裂以降、神戸山口組の傘下組織として活動し、独立を経て2021年に6代目山口組に復帰した。

[13] ヤマグチの希望で試射会が行われた。大阪市港区の港湾地域、倉庫街の一角に「パアーン」の爆音がとどろいた。マウンテンバイクで現場に臨んだ赤石は、退散するヤマグチと組長との2人を見送った後、抜かりなくエンプティ―ケース(空薬莢)を回収した。

[14] 東京都台東区に本部を置く暴力団。1994年2月、都公安委が指定暴力団に指定。

[15] 赤石にすれば、そのスピードがトロ過ぎた。間の抜けたスパイマスターに相手の携帯番号、口座番号まで教えてあげて、ようやく人定が固まるのだった。

[16] 銃器捜査におけるCCD(クリーン・コントロールド・デリバリー)の難しさはすでに明らかになっていたはず。エス同士で取り引きさせても何の意味もない。

[17] 大阪駅 – 富山駅間で「雷鳥」として運転を開始。以降、電化区間の延伸に合わせて富山以東や七尾線も発着地に加え、京阪神と北陸地方を結ぶ特急列車。

[18] 編集局長が逆上する。「当局発表以外は書くな!」の厳命にどれほど多くの記者が泣いたことか。素知らぬ顔で我が道を行く筆者は嫌われたが、見せかけの正論をことごとく破綻に追い込み、「致し方なし」とした。

[19] 2017年6月、20連勝を果たした当時14歳の藤井聡太四段の心中に等しい。

[20] 「どないなってんのん、コレ」と追及したが、「ツレが話したようです」といなされた。ツレは筆者の化身かもしれない。

[21] 2000年11月8日夜発生。4人組のうち3人が逮捕され、主犯格だけが逃げていた。

[22] 砥石を回転させて金属などを削る工具のブランド名。

[23] 神戸ルミナリエ、2000年は12月12日~25日。

[24] 赤石自身はピンからキリまで平気で犯罪を犯すが、人の命を奪うための道具・ピストルを憎み、殺人を嫌った。

[25] 曽谷の(拳銃)提出要求に窮した赤石が1994年4月、シバオからコルト・ディテクティブスペシャルを100万円で買い取った。来歴を質した曽谷は「アンタが持っとき」と受け取りを保留、赤石は別の1丁を探すハメに陥った。シバオはこの時点で警察官の身分を失って当然だったが、曽谷が庇った形で抑え込んだ。

[26] 銃口研磨を自供して自首調書を作成させたと法廷で主張したが、捜査1課は調書の存在を否定した。

[27] 握りつぶして不問にするの意。

[28] 2000年12月27日発生。29日に16歳の女子高生と同年齢男2人組が強殺容疑で逮捕された。

[29] 赤石の逮捕協力を捜査員から聞かされた主犯による仕返しだが、経緯を仔細に追うと、赤石の存在を疎ましく思う捜査1課がその筋書きを吹き込んだ疑いは捨てきれない。

[30] 赤石にとっては強殺犯の信頼を得る違法を承知の便法。逮捕時、主犯はこの拳銃で自殺を図ったが制圧されたという。危険な綱渡りだった。

[31] 中道武美 (なかみち・たけよし)32期、赤石の父親との縁で20年近い関係だというが、死刑廃論者の人権派として知られていた

[32] この実相を解きほぐすのが本稿の目的だ。

生駒 望

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