戦後レジームからの脱却―3 定めなき「国葬」を誰が執り行うのか?

戦後レジームからの脱却―3            定めなき「国葬」を誰が執り行うのか?

定めなき「国葬」を誰が執り行うのか?

本来ならば天皇がというところだが、これもまた、現時点では決まりがない。政府が閣議決定し、段取りを定めるというのだから、執行責任者は政府の長である首相、岸田文雄ということになる。歴史を紐解けば、1883年の岩倉具視の葬儀が最初の国葬で、天皇が弔った。戦後の国葬は1967年7月31日の吉田茂のケースがただ一つ。時の首相であった佐藤栄作が葬儀委員長を務めた。

国葬当日、献花の段となって、公明党委員長、竹入義勝の名前が呼び忘れられたという。「公党の名誉を傷つけるのも甚だしい」と怒り心頭に発したと伝わる。他方、社会党は、委員長の勝間田清一、副委員長の江田三郎が参院補選の応援演説でそれぞれ地方遊説に出たようで、キレる心配を避けたか逃げたか。

岸田は「民主主義を断固として守り抜く決意を示していく」と記者会見(7/14)で述べた。国葬と民主主義と、次元が異なる2つを並べたうえで「守り抜く」と言われても、ナニをナニからどう守り抜くのかサッパリ理解が追い付かない。

続いて自民党幹事長の茂木敏充が19日の会見で、「政府が閣議決定を根拠に国葬を行うことは法律上全く問題ない。国民から『国葬はいかがなものか』との指摘があるとは認識していない」と述べた」。こちらは、「野党の話は聞かない」と居直る経済再生担当相、山際大志郎と同等レベルの言いぐさに等しい。山際を叱りつけた官房長官・松野博一は、茂木にはどう対処するつもりか?

暗殺事件後、筆者の耳に聞こえてくるのは政府や自民党に対する異論と反論ばかりだった。

真っ先に届いたのが「天誅」だった。天自らが処断を下すのならともかく、殺人という行為の責任を犯罪者に負わせるのは酷だなという感慨を持って聞いた。が、天誅組という歴史上の出来事に照らせば、起源たる奈良の地でことに及んだことに少なからぬ妙を覚えた。

「自業自得」が少し遅れて聞こえてきた。これは「戦後レジームからの脱却」とほぼ同意である。個人に対する毀誉褒貶には関わりたくないが、空疎な言葉をもって繰り返し繰り返し国民を愚弄し続けた国会答弁の姿が脳裏に焼き付いている。賛同者がようやく来たかと得心した。

「喪失感」もあった。聞こえたわけではないから、テレビや電話ではない。視覚的な記憶だから、文字のメディアである新聞かネット・ブログだったはず。数多ある賛美の放列に堕した諸々の記事の中、些かの異彩を放っていた。余りにも突然に怨敵を失ったという意味での<喪失感>だったと思う。

ダラダラと書き連ねたが、所詮は言葉の遊びに過ぎない。しかし、「国葬」となると体を躱してばかりはいられない。国民の一人として服喪を迫られる。

「吉田と安倍」を戦後レジームの<起点と終点>とするならば兎も角、「暗殺」に便乗した戦後レジームの延命策であるなら、真っ平ゴメン。

ここは一つ、マスコミに登場していただきたい。国葬の是非を問うて、得意の世論調査をしてはどうか。「よろんちょうさ」でなく「せろんちょうさ」で結構、早急に実施して詳らかに公表することこそ国益に適う。

政府はその結果、「国民の声」を精査すべく、速やかに<国民投票>に準じた表決をやればよい。それが故人に対して、最も相応しい敬意の表し方になる。(醒)

 

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