戦後レジームからの脱却―4 刑事事件か政治事件か

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戦後レジームからの脱却―4 刑事事件か政治事件か

元首相・安倍晋三暗殺事件を機に「戦後レジームからの脱却」を書き始めた。事件は手製の銃器を使用した単純な殺人事件だった。現場で犯人の身柄をおさえた奈良県警が、その犯行動機を素早く公表した。余りにも迅速なトリック・プレーにより、刑事事件が政治事件に化けた。暗殺者・山上徹也と司法権力が手を組んだ新手のテロリズムといってもおかしくない。

安部を撃つことで統一教会を叩くのが目的ならば、山上の目論見はかなりの程度で成就したのかもしれない。宗教団体のしたたかさを見くびることはできないが、その存在を改めて明るみに引きずり出し、人々の認識を改めさせる契機を作った。多くのマスコミが新興宗教と政治家の関係を暴こうと夢中である。それらが低俗なゴシップ報道でしかなかったとしても、「戦後政治のレジーム」に対する破壊行為の一端をなすだろう。

正面から見据えるべき事件があらぬ方向へ導かれたのがこの事件の特色である。事件を防止できなかった警察が、自らの責任を回避するため、あるいは軽減するために刑事事件を政治事件にすり替えたようにも見える。政治の世界で、いったい誰がトクをするのだろうか。

国葬の閣議決定と第2次改造内閣組閣を急いだ現首相・岸田文雄は火の車の上で炙られ、早くも総辞職を迫られるありさまだが、夏休みのゴルフと家族旅行で骨を休めていたかと思えば、今度はコロナ感染だという。解散・総選挙に打って出ざるを得ないという決意を秘めた行動なのか、心身の緊張感を制御できないのか。政治の空白につけ込む輩が手ぐすね引いて待ち構え、組んずほぐれつの醜態を見せつけるだろう。

だが、目先のテロルと政界の猿芝居にたぶらかされて本質を見逃してはならない。コトはあくまでも刑事事件だ。事件をキチンと処理できるかどうか、警察と検察、裁判所と山上の弁護人――法治社会を支える刑事司法の基本の「キ」を安易に見逃してはならない。

被疑者は精神鑑定のため奈良地検により大阪拘置所に身柄を移された。奈良西署の裏口らしき素っ気ない鉄扉が開き、マスク姿の山上がカメラの前を引き回される。古いモノクロ写真で見たオズワルドの顰め面と山上の姿が重なって見える。あれほどまでに騒ぎ立てた警備の不手際は、もはや忘れ去られたのだろうか。

要人警護なんてのは一般庶民には無関係の世界だ。警察庁長官や県警本部長の責任を問い、クビの差し替えを誰が求めるのか――社会の秩序だという解答が成り立つのかもしれないが、どう入れ替えようと庶民に影響はない。日常生活の安心・安全を守るためには、政治事件に溺れず、刑事事件に引き戻して厳正に処理しなければならない。

「戦後レジーム」の最果てでのたうつ日本で、刑事司法が真っ当に機能するのかどうか? 安倍政治が醸した不道徳な「戦後レジーム」のもとで安倍暗殺事件を公正に裁きうるのか――その手際を見極めることこそが国民の義務だろう。国葬の行方に惑うことなかれ。(醒)

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